社名 コンテンツイズキング株式会社
住所 〒107-0061 東京都港区北青山2-7-20
代表者 代表取締役 吉田 久則
設立年月日 2017年2月20日

<取引先>
アスクル株式会社
株式会社博報堂
公益財団法人KDDI財団
株式会社上上(「匠とんかつ まるかつ」)
フォーチュンファクトリー株式会社

その他、さまざまな企業の皆様

 

吉田久則(代表取締役)Profile

大学生時代

早稲田大学第一文学部を中退し、編集プロダクションで校正や対談、インタビュー記事の原稿化など、何でも屋としてのアルバイトをしていました。

特に記憶に残っているのは朝日出版社のインタビュー本「週刊本」や知る人ぞ知る超難解哲学雑誌「エピステーメー」の仕事。エピステーメー編集部には中野幹隆さんという有名で少々偏屈な編集長がいてかわいがってもらい、編集者としての矜持などを勝手に学びました。

ゲーム会社にて
コーエー入社当時の手帳
コーエー入社当時の手帳

1987年、「信長の野望」「三國志」シリーズなどを手がけるゲームメーカー、株式会社光栄(現コーエーテクモホールディングス)に中途入社し、当初は編集部にてゲームのマニュアルや副読本、攻略本の編集を担当することになります。

「文章を書ける人材」として、襟川陽一社長(シブサワ・コウ)と襟川恵子専務(肩書きはいずれも当時)には重宝されていたと思います。ゲームのパッケージやポスターに用いる油絵制作を、著名イラストレーター生賴範義氏に依頼する手紙(当時はワープロ書きは失礼とされたので手書き)から、それこそ会議の議事録まで。

専門的な領域としては、大人のゲームファンにシミュレーションゲームの楽しみを啓蒙する、というシブサワ・コウの意向から、ゲームデザインから国際政治の研究家、ゲーム理論や競争戦略を専門とする大学教授などに取材をして原稿を書きました。ベストセラー「成長の限界」の著者デニス・メドウズ氏が来日講演するのをアテンドして、一緒に温泉に浸かったのは良い思い出です。

今はソフトバンクグループの社外取締役でもある襟川専務が、当時からソフトバンク創業者の孫正義社長を「孫ちゃん」と呼んで懇意にしていたため、孫社長に出版ノウハウを教えてもらいにいったり、何度かゲームソフトの流通についての商談にも同席したりしたことがあります。

襟川専務は美術大学出身で、「信長の野望」「三國志」の武将グラフィックについても強いこだわりがありました。作業中のCG部員の横にイスを持ってきて座り、「ここの影を濃くして」「背景のグラデーションはもっと緩やかに」など、細かい指示をしていました。

その後、出版部門から、コピーライターとしてセールスプロモーション部門に異動しました。業務内容は幅広く、コピーライティングだけでなく、コーエーの全商品のプロモーション戦略立案、代理店折衝、雑誌社折衝から、ゲームショーや制作発表会の仕切りなども担当しました。

制作会社にて

友人が経営する制作会社を手伝うことになり、そこでWEB系の制作スキルを身に着けました。また、富士通やパナソニック、日立などのeラーニングコンテンツを作ったり、SaaSの立ち上げなどを支援しました。

コンサルファームにて

ニュートン・コンサルティング株式会社(リスクマネジメントのコンサルファーム)では、広報担当として、東京都の「中小企業BCP策定支援事業」や経産省の「グループ単位による事業競争力強化モデル事業」などに関わりました。BCPを策定する中小企業数百社の社長にインタビューして東京都が発行する事例集に原稿を書くのがおもな仕事でした。

WEB制作会社にて

WEB制作会社でディレクターとして進行管理などを担当しました。ときには自分自身がライティングを手がけました。

コンテンツイズキング株式会社創業

上記のようなさまざまな経験をベースとして創業したコンテンツイズキングでは、

  1. おもに大手企業をクライアントとしたインタビュー
  2. 起業したばかりの企業から百億円規模までの中小事業者をクライアントとする、コンテンツ制作やコピーライティングによる経営支援

などを手がけてきました。

自社オウンドメディア「オウンドメディアのネタ帳」は開始から約3か月で検索キーワード「オウンドメディア」で3位、「オウンドメディア 制作会社」で1位を獲得するが、クライアントが増えすぎないように半年で閉鎖したため、現在は少し後悔している。